零~天倉 澪 捌~昏い村の中を歩いていく。朽ちかけた橋を渡る私の後ろに長い黒髪の少年がいる。『…』 「何よ、急に黙って?」 明るいこの睦月、というこの霊は、後ろで結わえた髪をありもしない風になびかせて、こちらを見た。 『…変わったなア、って思ってただけだよ』 橋の中ほどまできて、彼は穴から覗く水面を眺めた。浮いている足元。 『ここだって、昔は…みんなが通って…いや、村全体が、静寂だけどそれなりに楽しかったもんだ。…だけど今はもう、何も亡い』 「そりゃ、当たり前でしょ。地図にだって載ってないんだから」 違うんだ、と彼は首を振った。 『違うんだ。…そういう、意味じゃ…ない』 じゃあ、どういう意味なのよ、と問い返そうとした私の鼓膜に、何かの声が聞こえた。 『さむぅううういいぃいイイイ…』 振りかえると、遠くみなもにゆらめく白い影。 「女のひと…が、浮かんでる?!」 『来るぞ!』 睦月の警告と同時に、ゆらめいていた女が空中に浮き上がる。みなもにゆらめくその影のまま、空中にはねあがる。 その様こそ、将に不気味というしかない。 「…何よこれ!」 ファインダーをゆっくり、横に移動させる。空に浮く女の影を追って。 と、とたんにふっと消える、 『下だ!澪!』 咄嗟に射影機を下げると。 『さァアアむうぅいい…つ・め…たいぃいいいい!』 「しまっ…!」 一瞬シャッターを切るのが遅れた。ツメタイ手に、足を掴まれる。 『澪!!』 「このっ…離してッ離せ!」 必死でもがいて、蹴り飛ばす。ツメタイ手が宙に舞った。 『澪!今だ!』 体勢を崩した女に向かって射影機を構える。フレームが紅く光ると同時に、シャッターを切った。 『ギャあああああっ』 「消えて!」 ファインダーを移動させる。ゆっくりと揺らめいた女の影をフレームが追う――ノイズが高まる。 瞬、 間! 「これでおわりよ!」 シャッターを切った。 『ギャ・あ・あ・あ・あ・!いやぁあああああああ――っ』 断末魔の声と、空で空気を求めてあえぎながら、女は沈んだ。 「…なに、もうこの村は…」 射影機に、封じられる事の無い霊。 「…あのひとは、永遠にここにいるのかな」 『…そうだな。俺と同じで、撮られても成仏できない。…逢坂家の彼女と同じだ』 「…永遠」 とこしえに、水の底で苦しみ、あがく。…もう、死んでいるのに。次はいつまで苦しめば、楽になれるの? 睦月は覗きこむように空に浮く。揺れるみなもは新月も映しはしない。 <俺を神送りして、あいつ正気でいられるかな? 『… …』 「ん?何かいった?」 睦月は宙に浮いたまま、こちらを見た。そして、笑った。幼さの残る笑顔で。 『なんでもねーよ』 「あはははっははははは!はははははは」……… 「きゃっ…」 思わずあとずさると、睦月が私を抱きとめた。その意外な力強さに驚きながら、彼の視線を追う。 『…』 玄関らしき前で、茫と白い影は暗く、紅く閃いた。 『…待ってたよ…八重』 あはっはははははは、待ってたよ!八重! 振りかえったその少女の着物は、真っ赤に染まっている。返り血でも浴びたかのように、白い着物は紅く…腰には、紅い縄が巻かれている。 「わ…私は、澪よ。や、ヤエとかいうひとじゃない」 物凄い量の、霊気?というのか、冷たい空気が身体中に吹きつけてきて、息をするのも苦しい。 射影機を構えようにも、手が重くて、自分のものじゃないみたいだ。 つと、睦月が私の前に庇うように出てくれた。すると、霊気が和らぐ。 「睦月…」 『…紗重、だよ。あれが』 『あははっv睦月ィ!おはよぉ!いつのまにいきてたの?!ねェ?』 狂った笑い声を上げながら、紗重は睦月へ話しかけた。 『…死んでるよ、生憎な』 きゃははははははははは、とのけぞって紗重は奇妙な笑いを歌った。 『そぉおお!死んでるのー!あたしもねエ死んでる!死んでるけど八重をマッテルノヨォ!八重、八重、やっぱりきてくれたね!アタシヲ、おいてきぼりになんかしないもんね?!』 「…う!」 霊気が急に強まる。紗重の後ろに、亡と浮かび上がる大きな禍禍しい影。 『楔はきかなかった!ウツロはわれたのよ!あははははっははははははは!きゃーははははははははッ!八重!八重!こっちへきてよ!顔を見せて!あたしと寸分たがわぬ顔を!ねェ八重!』 睦月は霊気に髪をなびかせながら、私を庇う。すると、霊気が弱まる。 「私は八重じゃない!澪よ!…おねえちゃんを返して!」 『無駄だ、澪。紗重は正気じゃ…』 肩越しに云う睦月に、私は 「この村自体が正気じゃないわ!…だから云うんじゃない、おねえちゃんを返して!紗重!」 叫び返した。死者の溢れる村。死者の集う世界。死者しかいない…生者すら死者にとりこまれ、永遠の苦しみを味わう。 『…オネエ…チャン?ああ…アタシノコトネ。…いいわよ、返してあげても。でもねエ』 こちらへつと左手を彼女は招き出す。 『八重が…コッチにくるならね。』 「!」 その後ろに、立つ影は、―― 「おねえちゃん!」 「…澪」 『サア。八重。コッチにきてよ。返してあげるから…』 価 交 換 でしょ? 『ダメだ!いくな、澪!』 「わかってるわよ!…あっちにいくってことは…」 …『死ぬ』ってこと、なんでしょ?! だけど、私は、おねえちゃんを助けたい。 あの時、あの時、助けられなかった、あたしのせいで、私のせいで、だから今。 「…だ…め。よ…み…お」 「おねえちゃん?!」 うつむいた表情は見えなかった。 「だめよ…みお。きちゃ…いけない。ひとりで…かえるの。」 「絶対厭!おねえちゃんが帰るべきなの!」 彼女の瞳が瞠目した。 「おねえちゃんの力は本物だわ!…今までは、ダメでも、いつかひとを救うようになる!だから、帰るのはおねえちゃんよ!」 巧く云えなかったけど―― こちらを見た彼女の瞳から、涙が、透明な雫がこぼれた。 「私が、」 私が、いなくなってもおねえちゃんはひとりで、やっていける! 「…だめ…」 彼女は胸元に両手を重ねた。 「ダメ…なのよ、澪。もう…」 その手が、ハイネックのティーシャツの襟を広げた。 「呪いは解かれないから・・・」 そこには、綺麗な蝶の形の痣があった。 TO BE COUNTINUED→天倉 繭 玖 ジャンル別一覧
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